合縁奇縁

人と人の気心が合うのも合わないのも全て不思議な縁によるものだと昔から言われているよう、何処で何が縁に繋がるかは分かりません。すなわち人との出会いを大切にする事が良き出会いに繋がるという事なのです。
人により生きる時間の長短に違いは有るかと思いますが、生きて行く中で掛け替えが無いと思える出会いはほんの一握りでは無いでしょうか。中には存在しないと言う人も居るでしょう。
唯一とも言えよう存在は一朝一夕には見付からないでしょう。それは瞬時に判断出来兼ねる為です。例えば一目惚れにより運命を感じた女性が居たとします。その者が本当に貴方と出会う為に存在した人ならば、今後様々な生涯に見舞われようとも縁は途切れぬもの。例え恋仲へと発展せずとも良好な関係が続く、若しくは非常に大切な思い出として貴方の中へと残るのでは無いでしょうか。ここで目を置いて頂きたいのは、どれも過去が形成された後に初めて気付くという点。相手を知り、時間を重ねて初めて相手が至上の存在で有ると認識し得るのです。つまり出会った瞬間は取るに足りない人物と認識した者であっても、年月を過ごす内に貴方の大切な存在と成り得る可能性も否めないと言う事です。

知らず訪れた貴重な…無二とも言える存在を逃さないためにも、人との繋がりについて今一度考えてみませんか?

自分の持つもの、相手の持つもの

人は生まれ育った環境や、取り巻く人々、生きて行く内に遭遇する出来事の数々により様々な価値観や考え方を会得して行きます。異なる見解に触れたなら異なる視野が広がり、異なる色が生み出され、新鮮な世界が拓け、近しい思考と出会えたなら親近感が湧き、歩み寄りを感じ、安心を覚えると共に、互いの世界を縮める事が出来る事でしょう。
しかし今挙げたこれら二点はどれも正しい事では有りません。物事を目にし判断する場合、主観と言う自分専用のフィルターを通して考える為、幾ら自分と近しい思考を持つ相手だと感じようとも自分の思考イコール相手の思考と、等号で繋げる事は叶いません。別個の存在である以上致し方無い事です。つまり相手を判断するのは結局己自身であり、何に重きを置き目にするかにより結果は変わると言えるでしょう。

では相手と自分が全く別個の生き物であるならば、受け入れるとはどうすべきでしょうか。
違う価値観の者を受け入れると言う事は自分を壊す事へと通じます。
今貴方が持っている一つの状態、それを現状と言います。それぞれご自分なりの現状をお持ちでしょう。 それを壊す、または否定しない限り相手を受け入れる事は出来ません。自分の中で固められた考えや価値観の中に、相手の持つそれらを取り入れるスペースが必要だからです。しかし年を経るごとにそれらは難しくなりがちです。自分という現状が確立されるに連れ、凝り固まる傾向に有るからです。物事に対する柔軟さは素直さと言い換えたなら想像が付き易いでしょうか。素直に自分の考えや視点を壊し、新たな見解を受け入れられると言う事、それが相手への歩み寄りであり又己の成長にも繋がる一歩となります。

■ 諦めてしまう前に

駄目だ、自分には向いていない。そう思い諦めてしまう前に、一度本気になってぶつかってみませんか。恋愛は日々の生活を大きく変える、糧の一つです。

無くても良いけど、有れば尚良い。そんなデザートのような恋愛を、是非皆様にも味わって頂きたいと当サイトは考えています。

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