高嶺の花

遠くから眺めるも手に入れることの叶わない、憧れるばかりで自分にはほど遠きもののたとえ。それを高嶺の花と言います。このような思考は己への自身の無さから来るものであり、吊り合わないと思うことで諦める理由を己に与えてやる事に他なりません。高い木の上に実る葡萄は酸っぱいものです。それは貴方が酸いと決めた葡萄ゆえに味が確定されたようなもの。多少の違いは有れど、異性に対しても同様の心理が働くものです。
あの子は美人だ。自分など相手にはされない。相応しい相手は様々な卓越した能力を持つ者でなければならない。故に諦める他無い。これらは諦める事により己を護る行為に他なりません。期待を抱く程に叶わぬと知った際、傷は大きいもの。傷付いた記憶の大きな人程、臆病になってしまうものでしょう。故に防衛本能が働くのは当然の理。恥ずべき事ではありません。だからと言って意中の者を諦めるべきか否かはまた別の話。 ただ容易に諦められる程度の人で有れば話は別ですが。

誰かに憧れを抱く際、相手の表面上にしか目が向いていない場合が多々有ります。この人は良いものだと仙游館が働き、多少の粗は覆い隠し…時には好意的な見解にまで至る事も有るでしょう。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』との諺が有りますが、それの逆と言う訳です。そんな状態だからこそ、相手の本質は見え難きもの。そして同様に考える者が後を絶たないような、素晴らしい人だからこそ誰にも理解されず孤独を抱くと言うのは珍しく有りません。
もしも貴方がその立場であれば、どうでしょうか。少なくとも貴方と向かい合い、知り合おうとする者を邪険にしますか?恋愛だけを念頭に考えて行動するのでは無く、人と人が知り合うという根本から始める事を忘れないで下さい。良き理解者であり、友人でもあるうちに恋心への分岐点が訪れる機会も有るはずです。必要なのはその機会を逃さず、躊躇わず、踏み出す勇気。
何もしないまま諦める事は誰にでも出来ることです。そして、何かを得るべく行動を起こし努力を行うことも。達成も後悔も、その誰にでも可能な事柄の先に存在するものです。何もせず覚える後悔と、全力を尽くし覚える後悔のどちらが良いか、この二択はよく聞く言葉では無いでしょうか。どちらも結果は後悔として終わるもので有れど、後者はそうでない未来が可能性として存在していたことは確かです。

生きていられる長さには限りが有ります。沢山のものを諦め、積み上げた妥協の上に満足の行かない生活を送るよりも、喜怒哀楽に満ちた忙しない生き方をしてみませんか。凪いだ海原も良いものですが、時には時化も経験してこそ人に深みが増すというものです。貴方の人生、貴方自身がちゃんと楽しませてあげてください。

■ 諦めてしまう前に

駄目だ、自分には向いていない。そう思い諦めてしまう前に、一度本気になってぶつかってみませんか。恋愛は日々の生活を大きく変える、糧の一つです。

無くても良いけど、有れば尚良い。そんなデザートのような恋愛を、是非皆様にも味わって頂きたいと当サイトは考えています。

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